会長のページ/塩谷郡市医師会

塩谷郡市医師会会長のブログです。

下野新聞掲載 日曜論壇「医療制度の大きな転換期」

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    下野新聞掲載 日曜論壇「未来脅かす愚行即やめよ」

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      下野新聞掲載 日曜論壇「インフルエンザの備えは」

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        下野新聞掲載 日曜論壇「命の平等胸に世界へ目を」

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          下野新聞掲載 日曜論壇「受動喫煙対策今後も注目」

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            栃医新聞掲載 「塩谷郡市医師会長に就任して」

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               4月の塩谷郡市医師会総会で、山田聰先生の後継として会長に選任されました。県医師会から就任の挨拶文の依頼がありましたので、簡単な自己紹介、さらに塩谷郡市医師会について書き綴りたいと思います。

               私は、氏家町(現さくら市)に生まれ、小学校、中学校、高校と栃木県で学びました。大学は県外に出て見聞を広げようと考えていましたが、受験の失敗から予定外であった濁協医大に進学することになりました。なぜ予定外だったかというと、国立大学至上主義の進学校に在学していたため、私立医大という選択肢を想定していなかったからです。私は濁協医大の7期生ですが、いざ入学してみると世間の評判と違い、優秀で進取の精神に富んだ学生も多く、大変刺激を受けました。学生時代は、文芸愛好会を設立して同人誌を発行したり、学友会の会則を作ったり、学生新聞を創刊したり、さらには学友会十周年記念誌を編集したりと勉学以外の事に熱中しました。良き師や学友にも恵まれ、大学病院で生涯の伴侶も見つける事ができて、塞翁が馬ではありませんが後から考えると濁協医大に進学したのは最良の選択だったと思います。

               平成9年、生まれ故郷の氏家町(現さくら市〉に開業したのですが、間もなく塩谷郡市医師会史の編纂を手伝うことになり、学生時代の経験が役に立つことになりました。医師会史は戸村光宏編纂委員長の情熱で平成15年に完成しましたが、古い史料がほとんど残されてなかったことから「新生医師会半世紀の歴史」とサブタイトルを付けることになり、私が担当した戦前の歴史については満足できる内容ではありませんでした。今回の『幕末・明治・大正期の医療一塩谷の地から「醫」をさぐる』の発行で、その宿題をようやくやり遂げたというわけです。厚さが3センチ、500ページの本が完成した時は、ほっとして張りつめた糸が切れたような状態になりましたが、その後に思いがけず会長職を拝命することになり、少し困惑している所です。ただ、もともと楽天的な性格なので、医師会長という重職も正直あまり重荷には感じてはおらず、自然体でこなしていこうと考えています。

               さて、塩谷郡市医師会は矢板市、さくら市、高根沢町、塩谷町の2市2町で医業を行っている会員で構成されています。会員数が100名余の小さな医師会ですが、マラソンに熱中している先生、ボルダリンをやっている先生、プロ顔負けの星の写真を撮る先生、人間国宝を目指して陶芸に打ち込む先生、禁煙活動を熱心に行っている先生など、個性豊かな先生が多いのが特徴かもしれません。そういえば、6月のシニアゴルフ県知事杯で5アンダーの成績で優勝した先生も塩谷郡市医師会の会員です。各々の先生方の問題意識も高いため、県医師会の代議員会での質問数が多くなるのも仕方がないことなのかもしれません。

               現在、我々の塩谷地区はいくつかの問題を抱えています。まず、救急車の搬送時間が県内で一番長いことです。これは管内に3次医療機関がないことや、塩谷病院の移譲問題などで救急車の受け入れが減少したことが原因の一つです。また、塩谷地区は県北医療圏に属していますが、南に位置するさくら市、高根沢町では距離的に近い宇都宮医療圏に依存する傾向があり、救急医療の点でも問題を複雑化させています。もうひとつ、塩谷町の高原山の南麓が候補地となっている放射性廃棄物の最終処分場建設の問題があります。私たち開業医は常に地域住民と、その心身の健康を第一に考えています。そのため、塩谷郡市医師会としては豊かな自然にあふれ、地域住民の心のふるさとである高原山に処分場を造ることは到底認める事ができないことなのです。

               塩谷郡市医師会は小さな医師会であり、県医師会、隣接する医師会の先生方には大変お世話になっております。この場をお借りして御礼を申し上げ、私の挨拶とさせていただきます。

                                           <栃医新聞記載>

               


              『幕末・明治・大正期の医療〜塩谷の地から「醫(い)」をさぐる〜』の本を発行しました。

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                『幕末・明治・大正期の医療 塩谷の地から「醫」をさぐる』の発行について
                 塩谷郡市医師会では、塩谷地区の幕末から大正までの医療の歴史をまとめた本を発行しました。この本は山田前会長の時に予算化され、発行予定が少し遅れましたが漸く6月から皆さんのもとに届ける事ができるようになりました。写真にあるようにA5版で本文が500ページもある厚くて重い本です。
                本文は大きく4部に分かれています。第1部の最初の章では、世界と日本の医療の歴史に栃木県の医療の歴史を関連づけてあり、医療の歴史全体を親しみやすく概観できるようになっています。その後の章では、天然痘やコレラ、結核など、戦前の医療の大きな課題であった感染症の歴史を塩谷地区の例を出して記述、さらに江戸時代の医師、明治期の医療制度や医療事情、医師会の歴史、病院の歴史について、塩谷地区だけでなく県全体について触れています。
                2部は当時の人々がどんな医療を受けていたかを残された処方記録簿や死亡診断書などの史料をもとに詳述しています。死亡率の高かった子どもの病気や合法であった娼妓制度の医療についても分析し、今まで歴史では触れられることがなかった部分まで踏み込んでいます。優れた西洋医学の導入により時代遅れであった漢方医学が駆逐されたという現代的な歴史観を覆すような、コレラ患者に行われた当時の漢方治療なども興味深い所です。一般の人には少しマニアックですが、医療関係者は面白く読める部分です。
                3部は塩谷地区の喜連川藩の医療、明治期の近代的な病院であった喜連川病院、さらに矢板地区の代々医について取り上げました。特に喜連川神社の奉納額は幕末にコレラの流行が収まったことで臨時神輿が出されたことを描いたもので本の表紙にも用いた一見の価値のある文化財です。
                4部は塩谷地区の医師列伝で、軽い読み物となっています。
                 医療の歴史は、人類の生活や文化の歴史の中で重要な部分を占めていますが、今まであまり顧みられることはありませんでした。ぜひ、この本を多くの方に読んでいただき、医療の歴史を知っていただきたいと思います。塩谷地区の図書館や県立図書館で借りる事ができます。手元に置いてぜひ読みたいと希望する方は塩谷郡市医師会にご連絡ください。在庫は少なくなっていますが、送料のみでお送りします。
                 また、このホームページの素顔の医師たちやヤフーブログでも内容の一部を紹介していますのでぜひご覧ください。

                 
                              
                                         塩谷郡市医師会
                                         会長 岡   一 雄
                 

                岡会長就任の挨拶

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                   みなさん、お元気ですか。農家の方々は田植えが済んだ頃でしょうか。
                   この度、山田会長の後を継いで会長になりました岡といいます。簡単に自己紹介をします。さくら市氏家の商店街に生まれ、氏家小学校、中学校、宇都宮高校、獨協医科大学と人生のほとんどを故郷の栃木県内で過ごしました。
                   一番の趣味は薔薇を中心としたガーデニングです。5月は薔薇がきれいに咲きそろう季節ですが、手入れは一年中欠かすことができません。特に冬の寒い時期の剪定や元肥が重要です。その成果やごほうびが、この5月の開花なのです。手入れをおろそかにするときれいに咲いてくれず、時には枯れてしまいます。また、きれいに咲かせる特効薬もありません。薔薇に限らず、人や物を育てるということは、すぐに成果を期待する最近の風潮とは違う考え方が必要なのだと思います。自然の中で土と戯れていると、われわれ田舎に住む者はもっとゆったりした生き方と考え方を持つべきではないかと思えてきます。
                   さて、塩谷郡市医師会は今年から医療と介護の連携や在宅医療を進める取り組みを始めます。塩谷地区は医療機関も少なく、人口に比し面積が広い地域であるため、都市部に比べ在宅医療を行うのは大変ですがあせらず出来る所から取り組む予定です。地域の皆さんが住み慣れた場所で健やかに過ごせるような医療環境を目指していますので、長い目でご協力、ご支援をよろしくお願いします。

                                      塩谷郡市医師会 会長 岡   一 雄

                   

                  2015年 新年のご挨拶

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                     平成27年の新年のお慶びを申し上げます。
                     昨年はふって湧いた衆議院選挙で幕が閉じました。塩谷町の放射性廃棄物最終処分場候補地問題を抱えるわれわれ塩谷郡市医師会は2区で、汚染はそれを放出したところに帰すべきとかねてから主張していた民主党福田昭夫先生を推薦し、かろうじて当選させることができました。これも塩谷町はじめ郡市医師会の先生方のお力によると思います。ありがとうございました。とはいうものの、時の流れはなぜか自民党に付き、今後の展望は予断を許せません。今私が案じ疑問を抱いていることを披歴して、皆さまの関心を得ようと思います。
                     先ず、福島原発の事故処理はどうなっているのか。新聞雑誌ではほとんど取り上げられません。まだましなチェルノブイリの事故処理もなかなか進捗しないと言うのに、日本では忘れたように、20年オリンピックの話や、日本良い国報道だけが取り上げられています。汚染水の処理は進まず、太平洋に垂れ流しなのではないかと心配でなりません。それも永久に続くかもしれないのです。見なければいいという問題ではありません。
                     次いで、医療事故調査制度です。昨年6月に法案が可決し今年の10月には制度が施行されます。この法律により、患者の死亡・死産という医療事故が起きた場合、第3者機関に報告し院内で原因の調査を行い、その調査結果を第3者機関に報告することが、すべての医療機関に義務づけられます。
                    今までの医療界が自ら医療事故調査に積極的ではなかったために、厚労省はじめ外圧に押されてしまって新たなる天下り先を作ってしまったという図式ですが、後付けの事故原因から割り出した調査結果を基に是正点を指摘しそれを今後の医療に役立てようと言うことのようです。
                    しかし、その調査結果は患者家族に報告されますから、医療の結果に不満な患者や家族はその結果を使って裁判に持ち込むことも可能になるかもしれません。緊迫した状況での判断が、結果が思わしくなければ医療過誤として俎上に乗るかもしれないのです。
                    難しい症例でも時に良い結果を得ることもあるでしょうが、大抵は経験がない、技術的に難しい、気付かなかったとの理由で不幸な転機をたどってしまいます。それを、経験豊富な、技術的に卓越した、細かいところにまで目を凝らす医師のように診療すれば患者は助かったと言われかねません。すべての例で完璧な結果を求められかねないのです。われわれは休日当番や夜間診療室を担っていますが、それに参加することも危険を冒す勇気あることとなりかねません。さらなる救急医療の衰退がはじまります。難しそうな患者のたらいまわしが始まります。関係を持たなければいいのですから。
                    第3は日本の経済問題です。今の経済界の動きが貧富の差をつけるのを助長しているように思います。一部の一流企業の勝ち組は裕福な生活をし、多くのその他は中流社会から締め出され貧困層に低迷する。そして一度落ちたら這いあがれないという状況になり、今アメリカが置かれた環境と同じになる懸念があります。昔の貧富の差は10の1乗倍のレベルであったように思います。今は10の3乗倍の収入の差があります。富者はますます富み、貧者はますます貧すということになってきます。われわれが相手にしている患者さんは年金生活者が多くなってきました。しかし、将来の年金生活者は医療を受けられるのでしょうか。また若い非正規労働者は診療を受けにくるでしょうか。われわれの患者の絶対数が減ってくるかもしれません。それも経済問題で診療を受けるのを控えることが起きてくるかもしれません。当院では今でも酸素濃度90%を切るCOPDの人がHOTの1万円の負担がきついと肩で息をしながら来院します。生活保護は受けたくないのでしょう。無力を感じます。
                     第4に看取りの問題があります。私も開業して20年経ちます。開院当時元気な60歳台だった人も80歳を超えてきました。この人たちはどのように死んでいくのか。癌や脳卒中、心臓病など病院に入れる疾患ならいいのですが、じわじわと弱っていく人たちを受け入れて介護する余地はあるのか心配です。短期間での看取りなら可能でしょうが、長年往診する人が何十人にもなったら私の生活はどうなるのでしょうか。今はまだそれなりに介護が行きとどいています。しかし、介護職員の給与が低迷し魅力的な職業でなくなっています。行き所のない介護難民があふれてくるでしょう。
                     第5に案じているのは特定秘密保護法案の取り扱いです。昨年末この法案が施行されました。この法案により何百かの秘密事項が指定され、それを報じることができなくなるどころか、探ることもできなくなりました。これにより為政者側に立つ人間の秘密は守られ、その行為は何の歯止めもなくなりました。日本は閣議などでは発言の記録を取らない国ですから言いたい放題、やりたい放題がまかり通る危険性を持っています。安倍さんは福島の原発はunder controlと世界中に平気で嘘をつける人ですから、何でもありになるかもしれません。何が起きているのか想像力を働かせて検証しなければなりません。幸い日本は民主主義の国です。投票行為によって正していかなければなりません。
                     他にもイスラム国や、ロシアと中国の接近がもたらす政治的軍事的緊張、少子化の行方
                    等何でも知りたいと思っています。
                     これからの医療の担い手はバラ色の夢を描けるでしょうか。われわれが膨大な医療の知識の習得と診療に追われ、社会を考えなくなった時、官僚たち文官の支配に屈服しているのではないでしょうか。
                     悲観的な展望、心配になってしまいました。私の展望が杞憂に終わることを祈っています。
                     皆さん、医療だけに埋没することなく、社会とどう対峙していくか考えて行きましょう。
                     私は医療も、社会も、政治も、経済も、宇宙も、歴史の真実も何でも知りたいと思っています。そして、いつも何も知らないことを実感しています。これを読んでいる皆さんが一部でも教えてくだされば嬉しく思います。何も分からないまま死んで行くのでしょうが、少しでも前進したいと思っています。
                     皆さん、今年が貴方がたにとって良い年でありますよう願っております。

                                                         塩谷郡市医師会長  山田 聰


                     

                    2014年新年に思うこと

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                       皆さまあけましておめでとうございます。
                       今年の新年は穏やかにあけました。よい1年であるよう願っております。
                       しかし、昨年からの宿題のような問題が山積みで大きな心配の種です。今年は私なりの見解を披歴して皆さんと一緒に問題を考えたいと存じます。

                      1)救急医療
                       第1の問題は救急医療の問題です。御存知のように塩谷地区は救急車の搬送時間が他の地区に比べ長いことが問題になっています。これは主には2次救急を担う2つの基幹病院が医師の人員不足で十分な救急医療体制をとれないことにあります。研修医制度をきっかけにして地方への医師の配置が充足されてないからだと思います。県からの医師の派遣は期待できません。2つの病院もすぐには医師を増やせないでしょう。根本的には救急の医療費を2倍、3倍にして医療機関が参入しやすくすることが解決法だとは考えていますが、今の医療経済情勢では無理と思います。
                       ではどうしたらいいのか。救急医療の発想を変えることで救急医療に携わっていない医師たちに参加を要請するしかないと思います。それは誰でもが担う代わりに、救急医療での医療事故、ミスに対して刑事的に免責することです。誰も診なかったら助からない命です。緊急の場での判断ミスを免責することによって、医師が救急医療に参加することを容易にすることです。
                       むろん亡くなった人の関係者は憤慨するでしょう。しかし、助けられなかったことで衝撃を受けるのは医師も同じなのです。失敗から学ぶことはたくさんあります。次に命を助けることができるなら、多くの有能な経験者が増えてきます。結果として、多くの命が助かることになるのです。むろん失敗者の研修制度も必要です。過ちを過ちとして認め、学びなおすことを償いとして課すことで新たに有能な医師が増えてきます。
                       最近の学会では誤診例や失敗例の発表がなくなってきました。あざとい弁護士が医療裁判を有利にするために聴きに行くからだということです。しかし、失敗例を積み重ねて学んでいかないと医療技術の進歩はありません。そしてそれに携わる医師が増えてこないと全体的医療レベルの向上はないのです。一部の医師の能力が向上しても、助からない人は減りません。それは一部の医師が担うだけでは需要を満たせないからです。
                       私は最近宇都宮市と塩谷郡市合同の救急搬送の事後検討委員会にオブザーバーとして参加するようにしています。これは救急搬送を担う救急隊員と3次救急病院の医師たちがその搬送先は妥当だったか、搬送は円滑に行われたかを検討する会です。この会に参加して判ったことは専門以外の分野の診療に2次救急の医師たちがしり込みしているという事実です。外科系の医師たちは開放骨折はないのに整形外科医ではないと骨折が疑われる患者をあっさりと断ります。整形外科医でも通常開放骨折ではなかったら保存的にシーネを当てて固定し、鎮痛薬を投与して待機的に手術をしているのが現状なのにです。これは専門外の患者を診ておもわしくない結果が出たらという危険をとりたくないという医師の危機感の表れにほかなりません。救急の場では自分のできることをしてその場をしのぎ、専門医には待機的に診てもらう。その代り何が起こっても許してもらえるという環境さえあれば医師たちはトリアージだけでも行って、救急隊に後方病院への搬送を依頼するという真っ当な医療行為ができるのではないでしょうか。
                       私も微力ながら一次救急医として働くことがあります。たいていは経過を見ればよい患者さんですが、時としてよくわからない例や不安を感じる例があります。それなりに緊張します。そんな稀な例のために多くの医師たちが救急医療への参加を拒んでいるとしたら、こんなにもったいないことはありません。不幸な転機をたどったのは医療ミスがあるからだという考えを変えなければ解決はありません。
                       一般の方もこの文章を読んでくださるかもしれません。あなた方にとって、医療ミスと声高に唱え医師たちを立ち去らせている救急医療と、失敗例から学んで次は救おうという医師が立ち上がる救急医療とどちらが望ましいのか考えてください。日常の診療でも肺炎を見逃したり、虫垂炎の診断が遅れたり、思いがけない疾患が他の医師によって発見されたり、いろいろと失敗例はあります。われわれはそんな時それなりに傷つき、反省し、学んできました。肺炎を感冒と診断すると誤診と批判されますが、感冒に肺炎の治療をしても批判されることはないので、日常的に抗生物質を使うことによって、耐性菌を作っているとも言われているのです。われわれは100%正しい医療をできてはいません。救急の場では自分の行った医療の結果がはっきりとした形で出てくるので怖いのです。自分の得意な分野の診療だけに引きこもってしまうのです。多くのなんでも診る能力のある医師を育てるために、医療に対して寛容さを持っていただきたいと考えます。それが救急医療を救う唯一の道だと思います。

                      2)在宅医療
                       今度の年末年始は子供たちと過ごすため家を留守にする予定でした。しかし家人の腕の骨折のため家で過ごすことになってしまいました。そんな時急速に弱って食べなくなった高齢の老人の看取りを依頼されました。コンセプトとしては特別な医療はせず、家族全員で看取りをするというものです。幸い正月休みでしたので、患者さんは離れて暮らす子供達孫たちとも顔を合わせお別れができました。その翌々日の朝亡くなりましたが、穏やかな死に顔でした。看取りを依頼されてから8日間の出来事でした。
                       私はこのような死に方が一番いいと思っています。食べないのでといって点滴して水分補給をすれば1か月の命になります。栄養が必要といって高カロリー輸液や経腸栄養をすればもっと命を長らえることが出来ます。しかし、人の命には限りがあります。高齢者が食べなくなったことは自らが死期を悟ったものと判断して、このような死に方を家族に選択してもらうことがあります。しかし、これは別の面からみると、食べさせないのですから虐待と取られてしまう恐れもあります。家族全員がこのような死の迎え方を理解し納得して看取る体制がないとできることではありません。
                      このような看取りが可能であったのは、正月休みで患者家族のマンパワーが十分あったことと、全員がそのような死を納得したこと、そして私が自宅で正月を過ごしたことです。
                       私の後輩に在宅医療を積極的に行っている医師がいます。彼は尾道に住んでいるのですが、1時間以内に帰れる所にしか泊りにも行けないと言って、13年間東京には出てきません。近くの広島泊りが限界だそうです。どこにも連れて行けないので子供たちには見捨てられていると同窓会誌に書いていました。このように在宅を積極的に行うのには生活の自由を失うことが多く、多くの医師が二の足を踏んでいるのです。
                       その解決のために、何人かの医師が共同して医療を行うことが必要ですが、そのためには各医師の医療の平準化が必要ですし、その医療を享受する患者さんの理解も必要です。在宅医療を受ける条件の取り決めも必要です。患者家族の要求のすべてを受け入れることは困難です。先程の私の例では夜の12時から朝6時までは寝かしておいてほしいので急変しても呼ばないでくださいとお願いしました。でも、それ以外の時間帯ではいつ呼ばれるかわからないので、それなりに気を遣いました。また、変化があったら連絡を入れてほしいとお願いしました。このように、在宅医療はわれわれ医師にとって大きな負担です。国は推進しようとしていますが、なかなか参入は難しいのが現状です。核となる若い在宅医がいてそれを中心にネットワークを作る医療関係者が必要です。

                      3)特定秘密保護法案
                       次いで気になることは、昨年12月6日に成立し、12月13日に公布された特定秘密保護法案です。私個人的にはこの問題が一番大きな問題です。この法律はすぐにはまた直接的にはわれわれには影響はないように見えます。しかし、これによってわれわれは国の外交や防衛について知ることができなくなる範囲が広がり、時の権力者が知らせたくない他の情報からも遮断されることになります。
                       今までも情報を多く有する者が利を得てきましたし、これからもそうなるでしょう。明治維新では薩長土肥閥に近い人間が大きな権力や富を得、太平洋戦争後では進駐軍に近い人間が栄えてきました。ソ連の崩壊後には情報を持っていたKGBなどの情報機関に近い人間が、中国では共産党に近い人間が富み権力を得ているのは御存じと思います。
                       この特定秘密保護法案は大切な情報を政府に近い一部の人間が独占し、それを公開するのは60年後、それもすべては公表しないという法律です。その情報を秘密として保護すべきとの判断は時の権力者が行い、その妥当性はその仲間たちで決定し、その秘密はもしかしたら永遠に公表されないかも知れないのです。そして、そのような秘密を知ろうとしたら罰されてしまうのです。その法律を作らせた張本人は国民のための行動をするという人物ではなく、自分の信条のためなら日本が国際的な信用を失ってもよいとする人物なのです。それとも自分の行動がどういう結果を生むかが理解できないのでしょうか。
                       権力を持つ人間は時として日和見主義者であるべきです。自分の教条に固執することなく、その時に必要な行動をとるべきなのです。上に立った途端今までの信条とは違う行動をとることは時として正解であるのです。それが国民にとって良いことであるのならです。今の日本に必要なことは自国の利を過剰に主張することではなく、他国と互いに理解しあう努力をすることと考えます。
                       国民には知らしむベからず、寄らせるべしという法律が大した検討もなく作られてしまいました。そして今年中には施行されます。この法律はすぐには民主主義を破壊することはないと思います。しかし、じわじわとボデーブローのように効いてきて、この法律が戦前の治安維持法のような役割を果たすのではないかと心配するのは私一人ではないと思います。しっかりと運用を見届けなければなりませんし、息長く廃案を迫って行きたいと思っています。また誰がこれによって利を得、誰がこの法律の成立に加担したかを忘れずにいたいと考えています。

                      4)放射性物質最終処分場
                       ついで、私の関心事は矢板市が候補地になっている放射性廃棄物の最終処分場問題です。福島の原発が全くコントロールできていないのに福島の土地の除染によって以前のような状態に戻れるという幻想を福島の人たちに与え、近隣の地区にも放射性物質の受け入れ迫ってきています。
                       最近は現実を直視する人が出てきて大熊町とか双葉町への帰還は難しいということが言われ始めています。そんな状況の中放射能の拡散にも通じる最終処分場の設置には断じて反対しなければなりません。しかし、官僚は一度始めたことを達成することが使命と考える人種です。環境省という官庁が担ったことを成し遂げたいと、現実に目をつぶってでも矢板市に処分場を設置するということが起こらないとは限りません。油断せず反対の声を上げたいと思っています。

                      5)終わりに
                       私が最近で気にかかっていることを挙げました。特定秘密保護法案は医療とは関係ないように思うかもしれません。しかし、医療はできるだけブラックボックスを無くすることで進歩を遂げてきました。曖昧なものや秘密を排することで、医療の質の向上が図られてきました。日本の医療は一部の金持ちや特権階級のものではないという自負をわれわれは持っています。そのようなわれわれ医師ができるだけ秘密を作ろうという法案に賛成するわけにはいきません。
                       また、放射性物質最終処分場は生活の質を下げる懸念があります。安全だと保障されてもリスクのある場所には住みたくないというのは人情でしょう。塩谷地区に病院の医師が集まらずに2次救急病院が崩壊してしまう懸念があります。最終処分場はメルトダウンしてしまった原発問題に目をつぶろうとする一連の行動に思えるのです。
                       救急医療、在宅医療も多くの問題点を抱えています。われわれ医師も解決のための方策を考えていますが、一般の市民の皆さんもどうあってほしいか御意見をお寄せ下さい。そのために現状はどうなっているかに注目してください。
                       われわれ医師の中にも行政がすべて悪いのだと言って責任を行政に丸投げするものもいるのは事実です。しかし、それをもたらした行政を支持してきたのもわれわれです。どうしたら解決できるのかを示すことも必要と考え、みなさんから批判を受けることを覚悟でこの文をしたためました。建設的な本音が聞けたら幸いです。
                       私は新年に看取りを経験したことで、われわれ医師の責任を強く感じました。死亡診断書がないと患者に関する死後のすべての活動がなされないのです。明らかに死んでいる人を乗せて救急車が病院に向かうのも、警察が検視医を求めるのも1枚の死亡診断書・死体検案書がないとその死者に関する活動が停止したままだからなのです。
                      長々と、新年に思うことを書き連ねました。これを読み終えて、何かを考えてくだされば幸いです。
                       よい1年が作れるよう、お互いに頑張りましょう。今起きていることを脇役として甘受することなく、主役として立ち向かいましょう。

                      2014年1月5日
                                                 塩谷郡市医師会長 山田 聰


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